月の雫が映る空
管理人の風露が日々のことをのんびりまったりと綴るブログです。
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ものを書くくらいしか表現の手段がないのに、文章を書くのが最近輪をかけて苦手で、致命傷になりつつあります(-_-;)そして日常日記ではなく「(歴史創作関連で)思いついたことをひたすら書き殴るブログ」に変化しつつある今日この頃…
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2009
08,22
13:40
この違いは一体…( ̄△ ̄;)
CATEGORY[創作関連]
某三国志創作小説サイトさま(私大好きなんですよこのお方の小説が…リンク貼りたいけど出来ないです(=_=;)私が単に小心者なんですが)が「参考になれば」ってサイトに二橋関連の書籍を載せておられました。
…ぜんぶ、読んだこと、もしくはみたことあるんですけど(・ω・`;)
では同じような環境にあるのにどうして書けないのかしら…なんてのはまあ置いといて。
二橋と断金の出会いのパターンってある程度分類出来るとは思ってましたが実際分類しておられたのでやっぱりなぁ…といったところでした。
まずは王道てか史書曰くの「得」、つまり捕虜というのが一つ。「得」の解釈によっては違うみたいですけどね。
それに北方みたく「掻っ攫う」、つまり誘拐パターン。かどわかす、ともいう。
最後は何故か橋公(二橋のお父さん)が果樹園持っててそこで出会うパターン。ぶっちゃけ一番平穏で傾向としてはその後も非常に甘い夫婦が見れるのが特徴(笑)特に周小はお互いの一目惚れっぷりが見ていて非常に楽しい(*^_^*)
多分二橋に関してはこの三パターンが一般的でしょう、多分。
個人的には上二人が好きです、最後はちょっと甘すぎる気がせんでもない。
理想は前二つの中間くらい。
でも多分最初のが実際のところじゃないだろうかと。
あ、でも個人的には「元々知っていた、迎えに行く」パターンはありなんじゃなかろうかと思っております、但し策大限定。分類的には史書的な何か。
袁術の配下に「橋蕤(ズイ)(孫策の伝では喬蕤)」という人物がいます。わりと重臣なんですが。そして同じく重臣だった張勲と共に伯符のことを高く評価している、買っている。
彼は確か于禁(だったかな袁術伝などを要確認…後漢書かな(=_=;))に負けて亡くなったのが197年。
で、袁術が死んで軍団が瓦解した後、張勲は袁術の遺族達と共に孫策を頼ろうとするわけですが、ここで劉勲に捕まるんですよねー…この話は袁術の兵力を何処が吸収するのかって問題に絡んできてるんですがここでは関係ないのでスルー。
で、だ。
劉勲の拠点は史書で「二橋ゲット☆」とか書かれてる(違)皖、なわけ。
…ここからはどうやっても想像の域を出ないのですが。
二橋がもしも橋蕤の娘達ならば…と考えてみる。
橋蕤が死んだのが197年、袁術が死んだのが199年。
娘達を保護して張勲が結果的に皖まで連れていった可能性はないだろうか、なんて思うわけです。
死んでしまったとはいえ重臣の娘を軽々しく扱えるはずがない。
あとは孫策伝をまんま引くと彼らは独立前、袁術の下にいた伯符に「傾心敬焉」だったそうな。
……そんな将来有望な若者に自分の娘を嫁がせてやろうとか何とか思わないかなぁ、なんて数年前からひそかに思ってるんですが私(あくまでも策大限定)
あとは、抑止力的な使い方として。重臣の娘を娶らせることで独立させにくくしたのでは?…とは思うんですがそんなことで伯符が止められるかと言えば無理な話だと思いますけどねぇ(笑)
で、もっと言えばこれなら奥方は大喬一人というのが成立する確率が相当上昇します、ええ現在の確率より。
そして今思ったんだが大喬がそういう立場ならば伯符に頼ろうとするのも当たり前な気がする、ダメだ想像の域を出てない(ー'`ー;)
…以上、私情を加えまくった考察。
ただ、こうなると周小がどうしようもなくなっちゃうのが周小好きとしてはかなり辛いところ。色々無理がある。
そして自分が書けないのは色々納得が行ってないんだと思います、上手く言えないけど。
創作なんだから史書にこだわらずに頑張りましょうね私…(ノд<。)゜。
長くなったけど喬蕤=二橋父親説がわりとまとめられたから良しとしよう…
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