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2011 12,05 05:53 |
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【メモ】
周瑜さんとこの子供は残念ながら240年くらいまでに全滅の予感。 ちょっとちゃんと調べたいけど眠たいので忘れないうちにメモだけ。後日もう少し真面目に(現実逃避で)頑張ります。史料とかもってきて。とりあえず今わかることを覚え書き。 周循:長男。父親の風有り。官職持ち、妻(孫魯班)もいる。ただし夷陵の戦い(222年)の時点で死亡している確率高し。理由は弟が夷陵の戦いに参戦してるけど、彼の記述が見当たらないため。 最悪孫魯班の再婚までには死去しているはず…色々組み合わせれは生年だいぶ絞れる…気がしなくもない。 周胤:次男。孫氏の一族の娘さんが嫁。完全包囲だな周氏… 夷陵に参戦、官職もあるかもだけど思い出せない。 230年代後半~240年代初頭に死去。流罪にあっていたりでけっこう大変。後継とかの話がないため直径は途絶えたかと…わりと重臣メンバーが赦すように申し上げていてくれたはず。だけど間に合わなかった。 周氏:周瑜の娘。 孫登に嫁ぐ。ただし、孫登にはもう一人正式な妃がいたらしく、そっちとの記録が残っているらしい時期的に。誰だお前と思ったけど。つまり、その前に既に彼女は死んでいるんじゃないか、という仮説がたてられなくもない。妃の記事が220年年代半ば~後半にあったことを考えると、それまでに彼女は死んでいた、最悪孫登が死ぬ前にはもう死んでいた…ということが考えられる。短命家系\(^o^)/ 孫登の年齢を鑑みるに彼女が一番年上ということはたぶんないと思うむしろ最後か。 …要史料記事。 以上。 個人的には呉が官職を与えられるのはいくつからだとか分かればもう少し絞れる気もしますが、200年生まれ以降、それも200年代頭に最初の子供が生まれると色々しっくりくるんじゃないかしらー…て思ってます。となると、母親が小橋さんの確率が上がらなくもない。もとい高確率になるんじゃないかなと。 しかしながら主家の妾(失礼)の妹って家臣にしてみればどれくらいの価値を持つのやら…まして親友同然の家格は下の相手の。公主とかだと話は別でしょうけれども。あのエピソードは俺達こんなに仲良いんだぜアピールともいう。そんなことせんでもわかっとるって。でも美人姉妹なんだよなー… 姉妹をめとるでぱっと思い付くのが晋の文公と趙衰ですが、ここはきっちり家臣ですし、姉妹の姉の他に趙衰に嫁いで来たのが文公の娘(つまり公主)だし、しかもこの公主がその人に敬意はらって正室扱い…とか色々出来た話になってるから微妙に参考になりません。というかならない。 そこまで扱いは悪くなかった…と思いたい、たい。むしろ嫁一人でいい。私とか幸せになれるから。 でも史書に残るくらいなんだからそれなりに大事にはされていたんじゃないかな、連れ合う時間が短い姉は置いとくにしても少なくとも妹は。そうじゃないと話的に伝播しにくい気がする、どこかの時点でかき消されているような。 もしくは姉妹どちらかが子供を生んだか…そのどちらかなと思う。 そんなところ。姉への配慮が少ない気がするのは想像の余地が狭すぎるからですf(^_^; PR |
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