月の雫が映る空
管理人の風露が日々のことをのんびりまったりと綴るブログです。
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ものを書くくらいしか表現の手段がないのに、文章を書くのが最近輪をかけて苦手で、致命傷になりつつあります(-_-;)そして日常日記ではなく「(歴史創作関連で)思いついたことをひたすら書き殴るブログ」に変化しつつある今日この頃…
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2011
06,23
04:09
ちょっとかんがえてみた
CATEGORY[創作関連]
この忙しい時だからかもしれませんが、創作意欲がですね…
前回書いたらのべ~的な何か。もすこしどうにかならないものかと適材探ししてたんですよ。
そしたら瑜の娘に白羽の矢がたった(でも適任ではなさそう)…というわけでちょっと調べようと年表つくっていたら予想以上にカオスすぎてどうしようかと。二宮の変とか無理、ぜったい無理!
大体生没年設定して…とか考えていたら泣きそうになった。
瑜の娘は大戦では周姫って呼ばれてますね。ここでは周氏、って呼ぶことにします。
彼女は周瑜の娘かつ、孫権の長男である孫登の、多分正室でしょう。ソースは周瑜伝より。
周瑜の没年(210年)と孫登の生年(209年)から推測すれば多分彼女は孫登よりも年上じゃないかと思われます。
ちなみに周瑜の長男の周循にはこれまた孫権の娘である孫魯班が嫁いでます。このあたりから、既に家系図が何かしらおかしい。
ここに陸遜や孫登の四友の家系図を組み合わせると孫呉の家系図の近さがすごいことになると、先ほど気がついた、部分的には知ってたけれど。張氏、諸葛氏、陸氏、孫氏、顧氏とかもうなんだってんだ。いや、孫策の娘さんが陸氏・顧氏・朱氏に嫁いでいたりするのが一因なんですけど。
二宮の変の嫡男であった孫登の死(241年)により引き起こされたお家騒動で、まあ呉が見事に分裂するんですよね、詳しくは書けませんが。興味のある方は確か二宮の変はニコニコに関連動画が上がっているので、ちょっと参照してみるといいかも。自分でも検討してみたくはあります。
そこで、まあ陸遜はじめとしていろいろな人が居なくなるわけです、四友も例外ではなく。先に死んだ一人をのぞいて二人くらい死んでます。で、直後にその余波っぽいもので一人、あ、これは諸葛恪です。合肥新城での敗戦が引き金ですね。ちなみにその時の魏の指導者は実質的には司馬師ですね。そんな時代です。
あ、先ほどから四友四友うるさいですが、学友というか教育係というか、太子盛り立て組というか、そんな感じの人達です。曹丕の四友(陳羣・司馬懿・呉質・朱鑠)とか有名ですよね。孫登の四友のメンバーは諸葛恪(諸葛瑾息子)、張休(張昭三男)、顧譚(顧雍孫)、陳表(陳武子)ってメンバーです。ここのほとんどの家系が陸氏もしくは孫策と縁続きとか…なにそれこわい。
で、思うにこの時代にまだ周氏は健在なんじゃないかと思います。周家は短命の家系の気配がしなくもありませんが、それにしても多分生きてるかと。
そうなると一度周家に嫁いできたであろう孫魯班の変貌ぶりも目の当たりにしているようなきがします。
参考までに言えば諸葛恪殺害の時点では、おそらく陸遜に嫁いだ孫策の娘は生きていると思われます。というのも、諸葛恪が殺害されたときに、その連座制として、陸抗の嫁の張氏が離縁させられています。この張氏は諸葛瑾の娘と張昭の息子の張承の娘で、諸葛恪の姪っ子です。そのため、この張氏が生んだ陸抗の子である陸景は祖母に養育されたのと記述が『文士伝』に存在しております。
ここでの祖母は、陸抗の母ですから孫策の娘の可能性が高いのではないだろうかと思われます。そのため、周氏もまだ生きていてもおかしくないかと。まあ、この事件の次の年に孫登の子が自殺していたりします。
あ、おそろしいことを言うようですが、諸葛瑾と張承は仲の良い友人でして、歳の差は四つ諸葛瑾の方が年上です…事実です。
なんて、結構下り坂ですね、旦那さん亡くなると。兄二人に関しては、長男は早々となくなってはおりますし、次男も239年以降諸葛瑾が死ぬ241年以前には亡くなってそうです。罪もて流罪になってるんですけどね。
彼女はきっと旦那さんが死んで、その後継争いで国が真っ二つになるのを目の当たりにし、父親が守った呉が内側から崩壊していく様を目の当たりにしていたのだろうかと思います。周氏と二宮の変をつなげて考えることはあまりなかったので、新しい発見でした、でも彼女もきっと悲劇の女性ですね。
とりあえず、わかったことなど書きなぐってみました。わかりにくいですね。
このあたり、ひとつの事柄事柄をきちんとまとめてみたいとは思いますが…できるかしら?
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